文章力に必要な能力は国語力か数学力か、ロザンのお二人の話から
クイズ番組などでよく見かける漫才師のロザンのお二人。
宇治原さんは関東の(全国の)テレビで見かけることが
多いかもしれない。
このお二人のYouTubeが個人的に好きだ。
二人のうちのどちらかが日々の中で疑問に思うことを、
二人で意見を出して話し合っていくというもの。
良くない考え方、たとえば差別的なこと、
弱者に対するいじめにつながる考え方などに
対しては良くないと言うが、それ以外の多様性な
価値観に分類される考え方には自身の意見と違って
いても
「そういう考え方もあるな」
となるのが聞いていて落ち着く。
今回見た動画では、文章を書くということについて、
国語力より数学的力が必要と話し出した。
現代は手書きで何か書くということは少ないが、
スマホで、パソコンで何かと文章を書くことが
多くなったと。
文章を書くというのは0から何かを組み立てる
ということで、起承転結など、最初から最後まで
組み立ててから文章を書く。
この文章を組み立てるのが数学力なのではないか
という話。文章の道筋が一通り立った後、表現する
言葉選びなどがある。
このあたりは国語力にあたる所かもしれない。
文章が書けない人は国語力がないのではなく、
数学力が足りていないのではないかというもの。
エピソードを混ぜながら面白く進んでいくので、
「なるほどね、一理あるかもね」
と、二人のお話に引き込まれながら見てしまう。
お二人も多分了解の上で話していると思うのだが、
学校の勉強って基本的には論理的な思考がないと
どの教科も勉強にならない。
国語だって論理的な思考から文書を読み取ることは
誰もがしていることだと思う。
ただ、論理に使うルールが端的なのが数学だから、
数学を勉強するのが論理的に考えることを鍛えるのに
適している学問だということになるのだと思う。
逆のこともあって、中学生の数学で方程式を使う
文章題を解けない人に多いのが、文章を読み取る
能力が足らないことだと思う。
たった数行に書かれていることの意味が分かって
いないので、計算に行く前の方程式をたてること
が出来ずに撃沈する。
そこは数学力というよりは国語力だと感じる。
また、時間・速さ・距離の問題や濃度の問題
などで書いてあることは分かるが方程式が
たてられないことがあれば、方程式でつまずいて
いるのではなくそれ以前のこと、小学生で習う
時間・速さ・距離、濃度のところが理解できて
いないという別の理由があります。
文章を書くには国語力だけでなく数学力も
あった方が良いし、数学の文章問題を解くにも
国語力もないといけないなと、ロザンのお二人の
動画に同意しながら見て考えていたことです。
自分は菅さんがもっと全国のテレビに出てくれ
たら良いのにと思っています。
興味引かれる人なんですよね。
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